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東京高等裁判所 平成3年(う)1106号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、東京地方検察庁検察官検事高橋武生作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人一瀬敬一郎、同松井茂樹、同小川原優之、同鬼束忠則、同長谷川直彦、同小林博孝連名作成名義の答弁書(一)ないし(九)及び弁護人一瀬敬一郎作成の「補充書」と題する書面に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

本件控訴の趣意は、要するに、事実誤認の主張である。すなわち、

本件公訴事実の要旨は、「被告人が、一 ほか多数の者と共謀のうえ、東京都千代田区永田町一丁目一一番二三号財団法人自由民主会館所有の建物を時限式火炎放射装置を用いて燒燬しようと企て、昭和五九年九月一九日午後七時三五分ころ、右火炎放射装置を荷台に設置した保冷車型普通貨物自動車二台を同建物の北側に隣接する飲食店南甫園駐車場に駐車させ、右二台の車から、時限装置によって、ボンベ内の高圧ガスを、ガソリン及び灯油の混合油入りのボンベ内に流入させ、そのガスの圧力により、ノズルから右混合油を噴出させてこれに点火し、その火炎を同建物に向けて放射して放火し、その三階から七階部分を燒燬し、二 ほか一名と共謀のうえ、同日午後七時二〇分すぎころから午後八時ころまでの間、港区赤坂二丁目二番二一号先から千代田区六番町一三番地一先に至る間の道路において、前・後部に偽造した自動車登録番号標(足立四五ひ一四二〇)各一枚を着装した普通貨物自動車を走行させて、偽造自動車登録番号標を使用した」というものであるところ、原判決は、本件が中核派革命軍に所属する者らにより敢行されたこと、被告人が右革命軍の構成員であること、昭和五九年八月一日にシーケーディ東京販売株式会社蒲田営業所において本件時限式火炎放射装置に組み込まれた電磁弁(「遺留電磁弁」ともいう。)と同じ型番の電磁弁一〇個を購入した客は被告人であるとするTの証言の信用性を肯定して、被告人が右電磁弁一〇個を購入したことの各事実を認めながら、同日同社秋葉原営業所において本件時限式火炎放射装置に組み込まれた圧力調整器(「遺留圧力調整器」ともいう。)と同じ型番の圧力調整器五個を購入した客は被告人であるとするNの証言、本件犯行の直前に逃走用車両の助手席に乗っていたのは被告人であるとする警察官Yの証言の信用性をいずれも否定したうえ、前記一〇個の電磁弁と遺留電磁弁、五個の圧力調整器と遺留圧力調整器の各同一性にも疑問があるとし、更に、犯意、共謀については、被告人が革命軍の脈管であり、同軍の組織編成、構成員の動静等を知りうる枢要な地位にあったこと、被告人が本件犯行計画の全貌を知ったうえで犯行に関与したことの各立証がいずれも不十分であり、結局、本件各犯行につき共謀共同正犯の成立を否定するとともに、本件現住建造物等放火の幇助犯の成立すらも否定して、被告人を無罪とした。

しかしながら、証人N、同Yの各証言は十分に信用できるのであって、被告人が電磁弁一〇個を購入したのみならず、圧力調整器五個も購入していること、逃走用車両の助手席に乗っていた人物も被告人であることは明らかであるし、一〇個の電磁弁と遺留電磁弁、五個の圧力調整器と遺留圧力調整器の各同一性にも疑問はなく、更に被告人の犯意や共謀の証明も十分であって、本件各公訴事実は優にこれを認めることができるので、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があり、破棄を免れない、というのである。

これに対する弁護人の答弁は、被告人は本件犯行に全く関与していないから、原判決が被告人を無罪としたのは正当として評価できるとしながらも、N、Yの各証言が信用できないのはいうに及ばず、Tの証言も信用できないこと、また、圧力調整器五個、電磁弁一〇個の購入日及び本件犯行当日について、被告人にはいずれもアリバイが成立すること、したがって、被告人が本件犯行に関与した証拠は皆無であり、被告人は全くの無実であることが証明されているのに、原判決が、Tの証言を信用できるとしたことや、圧力調整器及び電磁弁の購入日について被告人のアリバイを否定したことは、誤りであり、控訴裁判所においては、単に検察官の控訴趣意が理由がないというだけでなく、被告人が全くの無実である旨の判断を示すべきである、というのである。

そこで、右の控訴趣意と答弁にかんがみ、考察するのに、本件放火及び偽造自動車登録番号標使用の各所為が中核派革命軍に所属する者らによって敢行されたこと及び被告人が当時中核派革命軍に属していたことは、被告人・弁護人も特に争わず、関係証拠に照らしても明らかである。また、昭和五九年八月一日、「坂田工業」の「坂田」と名乗る男がシーケーディ東京販売株式会社秋葉原営業所において、本件放火に使用された時限式火炎放射装置に組み込まれた圧力調整器と同じ型番の圧力調整器五個(二〇〇一―四C)を購入するとともに、「協和電機」の「小島」と名乗る男が同社蒲田営業所において同じく時限式火炎放射装置に組み込まれた電磁弁と同じ型番の電磁弁一〇個(AB四一―〇三―五―AC一〇〇V)を購入したことが明らかであるところ、①右圧力調整器五個と電磁弁一〇個が同じ日に購入されていること、②「坂田」も「小島」も、あらかじめ電話をかけて、日常生活用の汎用品でない流体制御部品という特殊な部品を、型番を指定して注文し、現金客としては珍しく多量の商品を買い求めていること(電磁弁は、電気的操作により気体・液体の流れを遮断・開放する方法でこれを制御する装置としての機材、また、圧力調整器は、気体、液体の圧力をあらかじめ設定した限度に調整する装置としての機材であり、それらの需要者は、右各装置を部品として組み込む各種機械の製造業者や右各装置を使用する工事業者等に限られ、一般家庭等で使用される物ではない。)、③「坂田」も「小島」も、物品受領書の受領印欄にサインするに当たり、自己の筆跡を隠す作為筆跡によっていること、④「坂田工業」、「協和電機」という事業所名や、「坂田」、「小島」という氏名も、仮名、偽名と推測され、圧力調整器や電磁弁を購入するに当たって、敢えて自己の筆跡を隠す理由は考えがたいことからしても、これらの物品は何らかの不法な目的をもって購入されたものと推測されること、⑤一方、中核派の一連の火炎放射事件で使用されてきた火炎放射装置に組み込まれる圧力調整器と電磁弁は、圧力調整器一に対して電磁弁二の比率であるところ、「坂田」の購入した圧力調整器は五個、「小島」の購入した電磁弁は一〇個であって、同じ比率であること、⑥「坂田」、「小島」の購入以降、中核派がシーケーディ製の圧力調整器と電磁弁を使用したのは、本件のみであり、しかも、本件において圧力調整器四個、電磁弁八個が使用され、数字的にも購入個数に符合していること(その差の圧力調整器一個、電磁弁二個は予備と考えることが可能である。)、⑦圧力調整器、電磁弁の販売先捜査の結果によっても、本件放火に使用された圧力調整器、電磁弁の個数に見合う不審購入は、「坂田」、「小島」の購入以外に発見されなかったこと(電磁弁は、昭和五八年八月一日から同五九年九月一九日の間に全国で販売されたもの、圧力調整器は、昭和五八年九月一日から同五九年九月一九日の間に関東地区で販売されたものを捜査対象とし、捜査方法としては、出荷明細で直接の販売先を割り出し、更にその先を割り出して、電話又は訪問により順次捜査を行うというものであって、もとよりその確度には自ずから限界があるが、それにしても、かなり大がかりな捜査であるにもかかわらず、「坂田」、「小島」以外に不審購入が発見されなかったことの意味は小さくない。)、⑧「坂田」、「小島」が購入した日は昭和五九年八月一日であるところ、本件の逃走用車両として使われた飯野信雄所有のトヨタライトエースが盗難にあったのは、同年七月二〇日から八月四日までの間であって、圧力調整器、電磁弁の購入と犯行準備としての車両の窃取が時期的に符合していることなどの諸事実が認められ、これらに徴すれば、「坂田」、「小島」の購入した圧力調整器、電磁弁が本件犯行に使用された可能性は、かなり高いといって差し支えないと考えられる。

しかしながら、検察官の主張する共同正犯であれ、幇助犯であれ、被告人に責任を帰せしめるには、被告人の具体的な関与が立証されなければならないのであって、被告人が中核派革命軍に所属する故をもって被告人に本件各犯行の責任を帰せしめることができないことはいうまでもない。しかるところ、本件において、被告人がかかわったとして、検察官の主張する主要なものは、(1)昭和五九年八月一日にシーケーディ東京販売株式会社秋葉原営業所で圧力調整器五個を購入するとともに、(2)同日同社蒲田営業所で電磁弁一〇個を購入した、(3)本件犯行の直前の当日午後七時二二、三分ころ、権田原交差点を通過した放火の実行犯人グループを逃走させるための車両であるトヨタライトエースの助手席に乗っていた、の三つしかなく、これらを立証する証拠としては、(1)については、秋葉原営業所の店員であるNの証言、(2)については、蒲田営業所の店員であるTの証言、(3)については、東宮御所警備派出所の前で権田原交差点を通行する不審車両等の警戒に当たっていた警察官Yの証言がほとんど唯一のものといってよい。したがって、以下、Y、N、Tの各証言の信用性について検討して、被告人の本件における具体的な関与の有無を明らかにしたうえ、更に、被告人の中核派における地位等を検討し、その地位等からして本件についての共謀共同正犯が認められるか否かを考察することにする。

一  Yの証言の信用性について

検察官の所論は、要するに、「原判決は、東宮御所警備派出所前に立番勤務中であった警察官Yの証言は、同人の目撃条件が悪く、逃走用車両であるトヨタライトエースの助手席に乗っていた人物の特徴を視認できたか疑問があるうえ、その供述の変遷等を考慮すると、その信用性には疑問がある旨判示した。しかしながら、同人の警察官としての専門的な職務経験及びその視力、識別能力等の主観的目撃条件を適切に評価するとともに、犯行後一七日目の昭和五九年一〇月六日の写真面割りにおいて、同人が多数の写真の中から、被告人の写真を抽出していることを考慮すれば、同人の証言に疑問を差し挟む余地はなく、被告人がトヨタライトエースの助手席に同乗していたことは優に認められる。原判決は、Y証言の信用性の評価を誤り、重大な事実誤認を犯したことが明らかである。」というのである。

そこで、検討すると、原判決は、Y証言の信用性を評価するに当たって、一「目撃条件」として、目撃現場の明るさなど(視認可能性)、目撃継続時間、目撃対象との距離、視線の向き、目撃対象の状況、目撃の角度、有意的注意の有無及び程度の各点を検討するとともに、二「識別供述の特徴の詳細度」、三「目撃と供述までの時間的隔たり」、四「写真面割手続の適否」、五「写真面割り等からの影響」、六「被告人の客観的特徴との対比」、七「供述の変遷」等を詳細に検討したうえ、同人の証言の信用性には重大な疑問があるとしたものであるところ、関係証拠に徴すれば、原判決の右判断は相当であって、そこに誤りがあるとは考えられない。以下、所論に即して、当裁判所の判断を補足する。

(1)  所論は、原審は、助手席の人物の視認可能性について、昭和六一年九月一九日午後七時から九時五分まで東宮御所警備派出所前路上及びその付近において実験・検証し、「少年や老人ではない男性であること、顔を三、四回派出所方向に向けたこと、顔の輪郭が丸型で大きいこと、顔立ちに鼻が特に高いといったような際立った特徴のないこと、眼鏡をかけていないこと、髪が顔に垂れ下がっていないこと、上衣は薄い色のものであることは識別できたが、目、鼻、口等の顔立ちの特徴、頭部の状況、年齢の見当、上衣の種別とその色については、前記以上の識別は困難であった」との検証結果が得られたことを根拠に、Yの目撃条件は悪く、はたして助手席の男の特徴の識別が可能であったのか極めて疑わしいとしたが、右判断は、裁判所の検証結果があくまでも裁判官三名による識別の結果であることを見過ごし、Yの視力、識別能力等の主観的目撃条件を適切に評価していない、というのである。

そこで、検討するに、検証時の裁判官三名の視力がいずれも眼鏡による矯正後のものが1.0であるのに対して、Yの視力は1.5程度(なお、原審裁判所の検証調書によれば、東京慈恵会医科大学眼科学教室の北原健二教授が検証補助者として平成三年一月七日に視力検査を行っているが、その結果によれば、明所視視力は両眼1.5、薄明視視力は照度四ルクスで両眼視力0.8、照度二ルクスで両眼視力0.6、夜間視力は明順応から三〇秒後における両眼視力0.4、一分後における両眼視力0.6であった。)であって、Yの視力の方が優っているが、検証が夜間の現場で時間をかけて行われたのに対し、Yの目撃はいわゆる暗順応の状態が問題になる状況下のものであることを考えると、この視力差が検証結果の信用性を左右するとは思われない。また、Yが不審車両や不審者の発見等の職業的訓練を経てきているであろうことは想像されるにしても、同人の識別能力が裁判官のそれと比較して優れていることが具体的に立証されているわけではない。そして、Yが本件当夜立番の勤務についていたのであるから、周囲の状況に対して相当の注意を払っていたということができるにしても、問題のトヨタライトエースに対して、犯罪行為にかかわるとか、ゲリラに関係する車であるという印象は持たず、したがって、追いかけるとか、ナンバーを確認しようともしなかったというのであるから、トヨタライトエースやその助手席の男に向けた注意の水準は必ずしも高いものとは考えがたいのに対し、検証時の裁判官の注意の水準は、助手席の人物の人相等の識別がどの程度可能な状況にあるかを明らかにするという検証の目的とその性質に照らし、当然のことながら極めて高いと認められるから、この点からしても、検証時の裁判官の識別能力が目撃時のYのそれに比較して劣っていたということはできない。

これに対し、所論は、Yは、検証の際の識別状況について公判廷で証言した際、「どういう顔の輪郭だかわかりましたか」などと質問されて、「わかりました」、「二〇歳台か、三〇以下、まあ二〇歳台後半ぐらいとか、そんな感じで受けました」などと答えているのであって、同じ検証時の裁判官の識別能力と比較して、Yの方が優れていることは明らかである、というのである。しかし、Yは、顔の輪郭について問われて「わかりました」と一言答えた程度にすぎないし、年齢についての証言もあいまいであるうえ、検証調書上に被目撃者の年齢の記載がないので、その判断が正しいのかどうかも明らかでないことなどに照らすと、所論の点は何らYの識別能力の方が優れていることの証左になるものではない。

また、所論は、Yは髪型がわからなかった旨証言しているが、髪型についてはたまたま確認しなかったにすぎないし、証言の際、同人が顔の具体的な輪郭、容貌の特徴を指摘してはいないが、これは、検証調書上検証時の被目撃者となった男の人相、着衣について記載されていないので、Yに証言させてもこれを確認できないことから、質問を差し控えたにすぎないのであって、髪型がわからなかったことや顔の具体的な輪郭、容貌の特徴を指摘していないことを理由にY証言を重視しない原判決は不当である、というのである。しかし、所論の右主張を裏付ける立証がされているわけではないうえ、検証の際、被目撃者の頭髪部分は見通せる状況にあったのに、Yがその髪型がわからず、また、顔の輪郭がわかったと述べながら、具体的な容貌の特徴には全く触れるところがない以上、Y証言を重視できないとした原判断に不当はないというべきである。

したがって、Yの識別能力が検証時の裁判官三名のそれに比較して優れていることを根拠に原審裁判所の検証結果の信用性を否定する所論は、その前提において、失当であり、これに与することはできない。

(2)  所論は、Yが昭和五九年一〇月六日の写真面割りにおいてトヨタライトエースの助手席に同乗していた男として抽出した男と、Tが同年一一月二八日の写真面割りにおいて電磁弁一〇個を購入した「小島」なる人物として抽出した男が一致したものであるところ、その一致する確率は、Yの写真面割りに使用された面割写真帳に貼付されている写真が六五人分七〇枚、Tの写真面割りに使用された面割写真帳に貼付されている写真が三四五人分三六四枚であったことからすれば、二万二四二五分の一であって、偶然が入り込む余地がない、偶然とはいえないこの確率において、YがTに先立つこと約一か月半前に、被告人の写真を抽出していることは、Yの識別能力が優れていたこと、ひいては、助手席の男が被告人であることを示すものである、というのである。

しかし、同一の出来事に関して複数の目撃者がいて、その犯人識別供述を問題とするのであれば、所論の主張は理解できないわけではないが、本件においては、Yが面割写真帳から抽出した人物が、真実Yが現認したというトヨタライトエースの助手席の男なのか、また、Tが面割写真帳から抽出した人物が、真実電磁弁一〇個を購入した男なのか、すなわち、日時も場所もその内容も全く異なる出来事に関する犯人識別供述が問題になっているのであるから、その信用性はそれぞれ別個に検討されなければならない。したがって、所論の主張は、Yの識別能力が優れていたこと、ひいて助手席の男が被告人であることを示す根拠にならないことは明らかである。

(3)  所論は、原判決は、被告人の昭和五九年九月一九日におけるアリバイに関して、ホテル島万別館に宿泊していた旨のアリバイ主張を虚偽のものであると断定できないとしたが、このアリバイ主張が虚偽であることは明らかである、被告人が偽装工作をしてまでアリバイの主張をしたのは、まさに犯行当日トヨタライトエースの助手席に同乗していたからにほかならない、このようなアリバイ主張の持つ意味を理解し、これにYの専門的な職務経験、訓練により培われた認識力と本質的に備わった視力等の主観的条件を考慮するならば、Y証言の信用性は極めて高いというべきである、というのである。

しかし、トヨタライトエースの助手席に同乗していた人物が被告人であるとするYの犯人識別供述が信用性に乏しいことは、原判決が詳細に判示するところであり、これが相当であることはこれまでの説示に徴して明らかであるから、被告人にアリバイが成立するかを問題とするまでもなく、所論は失当である。

以上、要するに、Y証言の信用性に関して所論が指摘する点を逐一検討しても、同証言の信用性を否定した原判決に誤りはなく、被告人が犯行当日逃走用車両であるトヨタライトエースの助手席に同乗していたと認めることはできない。原判決に所論の事実誤認はない。

二  Nの証言の信用性について

検察官の所論は、要するに、「原判決は、昭和五九年八月一日シーケーディ東京販売株式会社秋葉原営業所において、「坂田」なる人物に圧力調整器五個を販売したNの証言について、同人の「坂田」に関する容貌等の記憶は、年齢、身長、髪型、目の感じを除き、明確なものではなかったと結論づけるとともに、同社蒲田営業所において「小島」なる人物に電磁弁一〇個を販売したTの証言と関連させてみても、「坂田」と「小島」つまり被告人とが同一人物であると断定するのは早計であるとして、被告人が秋葉原営業所において圧力調整器五個を購入した事実を否定した。しかし、Nが証言するに至るまでの経過、心中の葛藤を十分に検討したうえでその証言内容を吟味し、かつ、「坂田」と「小島」つまり被告人との容貌等の酷似性、電磁弁、圧力調整器の購入時期、購入手続等を考慮に入れるならば、「坂田」が被告人であることは明らかである。原判決はN証言の信用性の評価を誤り、重大な事実誤認を犯したものである。」というのである。

そこで、検討するに、原判決は、①Nは、「坂田」の容貌等の特徴等について、年齢、身長、髪型のほかは、「目に脂肪がない感じで奥目がかった感じだった。唇は分厚くなかった。顔の輪郭は丸顔という印象はなかった。」と述べるにとどまり、顔の形、顎、口、唇等の特徴につき具体的な供述をしていないこと、②Nは、公判廷の証言の際だけでなく、捜査段階における三回の写真面割り及び二回の面通しの際にも、被告人が「坂田」と同一人であることを確認していないこと、③Nは、「坂田」を覚えている理由の一つとして、サインの仕方が変っていることを挙げ、Nの昭和六〇年一月一九日付及び同年五月二日付各検察官調書にはその趣旨の供述が見られるが、昭和五九年一一月二八日に警察官S5が事情聴取した際には、サインの仕方について覚えていない旨答え、昭和五九年一二月二六日付警察官調書でも「どのようなサインの仕方をしたか……よく覚えていません」と供述しており、サインの仕方についてNの記憶が明確なものであったか疑問が残ることの各点を挙げて、Nの「坂田」についての記憶は、年齢、身長、髪型、目の感じを除き、明確なものではなかったと判示するとともに、Tの証言と関連させてみても、「坂田」の唇の厚さ及びサインをした際の動作についてNの記憶が明確でないこと、Nは「坂田」の着衣の色につき「茶系統の色だった」と供述しているが、Tは「小島」の着衣の色につき、明確な記憶を持っているとはいえないこと、Nは「目に脂肪がない感じで奥目がかった感じ」と供述するのに対し、Tは「目つきとか鼻、耳の形は覚えていない」と供述し、目、鼻等につき共通の特徴の指摘が見られないことを挙げて、「坂田」と「小島」とが同一人物であると断定するのは早計であるとしたものであるところ、「小島」と被告人との同一性については、後にTの証言の信用性について」の項において論述することとして、その余の点についての原判決の判断は、関係証拠に照らして相当であり、そこに誤りは認められない。以下、多岐にわたる所論にかんがみ、当裁判所の判断を順次説明することにする。

(一)  原判決が「坂田」の容貌等についてのNの記憶が明確でないとした点について

(1)  所論は、原判決は、「坂田」の容貌等についてのNの記憶が明確でなかったことの根拠の一つとして、Nは、年齢、身長、髪型のほかは、目の感じを言うにとどまり、顔の形、顎、口、唇等の特徴につき具体的な供述をしていないことを挙げている、しかし、①目撃者にとって被目撃者の容貌等の特徴を具体的に供述できるか否かは、被目撃者の特定と直接の関連を有しないから、容貌等の特徴を具体的に供述していないことをもって、Nの記憶の明確さを否定する根拠とすることはできない、②人によって容貌の特徴のとらえ方がかなり異なるのであるから、Tのとらえた容貌の特徴をNが具体的に供述していないからといって、Nの記憶が明確でないともいえない、③そもそもNは、年齢、身長、髪型、目の感じだけでなく、髪質、顔の形、唇、上着の形・色、ネクタイ着用の有無等についても供述し、特に髪質については「パーマだったか、天然かよくわからないんですが、ちょっとパーマがかった、ウェーブがかった感じ」とか、目の感じについては「目に脂肪がない感じ」とかの表現を用いて具体的に証言し、顔の形についても、面通しした被告人より「もう少し頬に肉があるような感じ」と述べて、面通しした被告人との比較をすることによって証言していることからすれば、Nには被告人と比較しうるだけの具体的な記憶があったことを裏付けるものである、④原判決は、Nが被告人の面通し直後の検察官調書に至って、初めて「坂田」の顔の形や唇を具体的に供述したことをもって「丸顔という印象はなかった」「唇は分厚くなかった」との証言自体、面通し等による影響があったのではないかと疑われるとしたが、Nは警察官、検察官の事情聴取時には不安さえ覚えていたこと、それにもかかわらず、敢えて右のように証言したことの意味を理解すれば、Nは順次真実の記憶をよみがえらせて述べるに至ったものと認められる、というのである。

そこで、検討するに、まず、所論①については、目撃者によるいわゆる犯人識別は、目撃者がある特定の人物を目撃したという事実を目撃者による被目撃者の容貌に関する供述から推論するのであるから、容貌特徴の言語化が困難であることを考慮しても、容貌特徴が言語により具体的に表現されていなければ、同一性識別の信用性・正確性を客観的に検証することが不可能ないし著しく困難であることは論をまたないところである。その意味において、目撃者が被目撃者の容貌等の特徴を具体的に供述できるか否かは、被目撃者の特定の正確性と密接に関連するということができるから、所論は必ずしも当を得たものとは思われない。

次に、所論②については、人によって容貌特徴のとらえ方が異なることがあることは事実であるとしても、Nについていえば、同人なりにとらえた容貌特徴が存在するはずであり、その表現が的確かどうかはともかく、容貌特徴が具体的に語られることによってはじめて、Nの記憶が明確であったことが論証されることになるのである。しかるに、Nには、「坂田」の容貌特徴に関する具体的な指摘が乏しいことは、以下、所論③④に対する判断として述べるとおりである。すなわち、「坂田」なる人物の顔の輪郭について、Nは、公判廷では「丸顔という印象はなかった」と証言しているところ、「坂田」の目撃に最も近接した時点に録取された昭和五九年一二月二六日付警察官調書(警面という。なお、T供述と関連させて論述するときは、N警面という。以下、同様の用語例に従う。)では「どちらかというと丸顔」と供述していて、捜査段階における供述と証言との間に著しい変遷があること、このことからしても、公判廷証言には、被告人を面通ししたことなどによって新たに得た被告人の印象が混入した疑いを否定することができないこと、口や唇について、公判廷では「唇が分厚くなかった」と証言しているが、警面及び昭和六〇年一月一九日付検察官調書(検面①という。)には記載はなく、被告人を面通しした後に作成された同年五月二日付検察官調書(検面②という。)には「坂田と名乗っていた人の鼻や口がどんなであったかはっきりした記憶がないので、この点についても似ているとも似ていないとも申し上げられないのです。ただ、坂田と名乗っていた人の唇は厚かったという記憶はなく、やや薄めに見えた甲(被告人の意)の唇を見て、そう言えば坂田と名乗っていた人もこんな唇だったかなと一瞬思いましたが、この点について自信はなくはっきりしたことは言えません。」と録取されているのであって、口や唇についての記憶があいまいで自身のないことを窺わせるとともに、やはり、公判廷証言には被告人を面通ししたことなどによって新たに得た被告人の印象が混入した疑いを否定することができないこと、被告人には顎がしゃくれているという特徴があるところ、捜査段階においては、警面・検面を通じて顎に関する供述が存在せず、公判廷においても、「坂田」の顎について「特に印象は持っていません」と答えていること、髪質・髪型について、「パーマだったか、天然だったかよくわからないんですが、ちょっとパーマがかった、ウェーブがかった感じ」、「大ざっぱに分けていたようです。」と証言しているが、「パーマがかった、ウェーブがかった感じ」といってもあいまいさを否定できないし、左で分けていたのかそれとも右かもはっきりせず、Nの容貌記憶が正確であることの根拠にすることはできないこと、上着の形・色、ネクタイ着用の有無はそもそも人物の容貌特徴とはいえないうえ、警面では「服装は夏なのにピシッとした服装で、色は覚えていませんが背広を着ていました。」と供述していたのが、検面①では「茶系統の背広風の上着を着ていた」と変わり、公判証言では「長袖の服でネクタイは締めていなかった」旨変遷しているのであって、到底はっきりした記憶に基づくものであるとは認められないことなどの諸点を指摘できるのであって、これらを総合すれば、Nの「坂田」の容貌についての供述はあいまいで具体性を欠くといわざるをえず、かつ、記憶のあいまいさを窺わせる供述の変遷も存在するから、原判決が容貌供述の具体性の欠如を「坂田」の容貌等についてのNの記憶が明確でなかったことの根拠の一つとしたことに誤りは認められない。

(2)  所論は、原判決は、「坂田」の容貌等についてのNの記憶が明確でなかったことの根拠の一つとして、Nが公判廷の証言の際だけでなく、捜査段階における三回の写真面割り及び二回の面通しの際にも、被告人が「坂田」と同一人であることを確認していないことを挙げている、しかし、原判決の判断は、目撃時と再認時の条件の違い(背景、明暗、角度、被目撃者とのかかわり合い方、被目撃者の態度、容貌の変化)、再認方法、目撃者の心理状態等を全く無視している、Nの「(「坂田」は面通しした被告人より)もう少し頬に肉があるような感じ」との証言からすれば、Nには「坂田」の記憶が十分あるが故に、被告人が髪型、目の感じが似ていながら同一人であると断定する供述をなしえなかったものである、Tの「(面通し時の被告人は)随分頬がこけてしまったなという感じ」などという証言と比較すれば明らかなように、Nの右証言は、目撃時の被告人の顔の形を十分とらえていたものであり、Nが被告人と「坂田」とを同一人と断定しなかったのは、Nの心理状態からもたらされたものにすぎない、Nの「髪型とか目の感じとか全体的に似ていると思う」「(「坂田」と被告人と違う点は)別にない」との証言が「同一人である」との表現に比し、決して遜色がないことは明らかである、というのである。

そこで、検討するに、Nは「(「坂田」は面通しした被告人より)もう少し頬に肉があるような感じ」と証言しているが、その証言は、頬に言及しているものの具体的な顔の形に触れるものではないうえ、既に述べたように、Nは、「坂田」の顔の輪郭について、警面では「どちらかというと丸顔」と供述していたにもかかわらず、公判廷では「丸顔という印象はなかった」と証言しているのであって、この供述の変遷に徴しても、顔の輪郭についてのNの記憶が明確であったとはいえない。それゆえ、「もう少し頬に肉があるような感じ」という証言は、目撃時の「坂田」と面通し時の被告人のそれぞれの頬の肉付きの違いを指摘しているものといってよく、目撃した「坂田」が被告人であって、その当時と比べて面通し時には、頬の肉が少し落ちていたという趣旨に解すべきものではない。右証言がTの「(面通し時の被告人は)随分頬がこけてしまったなという感じ」などという証言と類似しているといっても、「坂田」と「小島」が同一人であるという立証がなされていないことは後述するとおりであるから、そうである以上、両者の証言の類似性は、N証言の容貌記憶の明確性を担保するものではない。また、Nは「髪型とか目の感じとか全体的に似ていると思う」「(「坂田」と被告人と違う点は)別にない」と証言していることは事実であるが、額や顎については覚えていないと証言し、鼻については証言がなく、このように容貌の重要な部分について覚えていないところがある以上、「全体的に似ている」とか、「(違う点は)別にない」という証言が「同一人である」との表現に比して遜色がないなどといえないことは明らかである。そして更に言うと、もし、Nが「坂田」と被告人が同一人であると判断したのであれば、同人が大事件に巻き込まれたという不安を覚え、できれば事件にかかわりたくない、供述したくないという気持ちを抱いていたであろうという同人の心理状態等を考慮に入れても、公判廷の証言に至るまでのいずれかの段階で同一性の確認をしているはずであると考えられる。Nが公判廷の証言の際だけでなく、捜査段階における三回の写真面割り及び二回の面通しの際にも、被告人が「坂田」と同一人であることを確認していないことは、Nの容貌記憶が明確でなかったからにほかならないというべきである。

(3)  所論は、原判決は、「坂田」の容貌等についてのNの記憶が明確でなかったことの根拠の一つとして、「坂田」のサインの仕方についてのNの記憶が明確なものであったか疑問が残ることを挙げている、しかし、Nは、伝票を作成する際の「坂田」の言動について詳細に証言し、弁護人の執拗な反対尋問にもかかわらず、一貫してその供述を維持し、「坂田」が物品受領書にサインをする際の姿勢について具体的に再現しているのであって、Nの記憶が確かであり、体験事実をありのままに証言していることを示している、Nが、全く利害関係を持たない第三者であり、記憶に基づかない証言をする理由も必要もないことや、警察官、検察官の事情聴取を受けたたげでも大事件に巻き込まれるような気がして不安さえ覚えていたNが、ついには証人として被告人の面前において証言をせざるをえない立場におかれた苦衷を考えれば、同人の証言あるいは「坂田」の取った姿勢の再現などを、明確な記憶に基づかない証言、動作として何人といえども否定することはできない、Nの苦衷を的確に洞察すれば、被告人・傍聴人を面前にしながら、敢えて検察官調書の供述より詳しい証言をしたことや、供述の変遷と見られるところも、記憶が明確でなかったからではなく、記憶にある事実は事実として明らかにしていかなければならないと決断したことによると理解しうる、というのである。

そこで、検討するに、確かに、Nの検面①には、「普通、サインするときには、左手で用紙を押えて書きますが、そのときのお客さんは紙を押えずにサインをしようとしたので、用紙がずれて書きにくそうでしたので、私がカウンター越しに右手を伸ばして用紙を押えてやった記憶があります。また、サインをするときには、普通には場所にこだわらず手早く書く人が多いのですが、このときの客は受領印の欄の中にゆっくり書いていた記憶があります。」と、また、検面②には、「物品受領書にサインを求めた際には、通常なら左手でその用紙を押えるなどして用紙が動かないようにしてサインするのにその方はカウンターのガラスの上で左手をそえようともせずボールペンでサインをしようとして、その為用紙が動き書きにくそうだったので私が右手でその物品受領書の用紙を押えてやったことがあったことなどから印象に残っている人でした。」と、「坂田」のサインの仕方に関する詳細な供述が録取され、更に、公判廷においては、「坂田」の言動についてより詳細に証言し、弁護人の執拗なまでの反対尋問にもかかわらず、一貫してその供述を維持し、「坂田」が物品受領書にサインをする際の姿勢について具体的に再現までしていることが認められる。しかしながら、Nは、昭和五九年一一月二八日に警察官S5から事情聴取を受けた際には、サインの仕方について覚えていない旨答え、警面でも「どのようなサインの仕方をしたか……よく覚えていません」と供述していたことが明らかである。このように、Nは、サインの仕方が問題になっていることを十分承知したうえで、「覚えていません」と明確に供述していたのに、検面に至ると、詳細に記憶していることになり、それゆえに印象に残っていることになるのは、単に記憶を蘇らせたということでは説明が困難であり、T供述との関連なしには考えがたいというほかない。すなわち、Tの昭和五九年一二月四日付警察官調書(警面)及び昭和六〇年一月一七日付検察官調書(検面①)には、「小島」のサインの仕方が詳細に録取されているところ、このT検面①とその二日後に作成されたN検面①とにおけるサインの仕方に関する供述の類似性が明らかであるうえ、両者の取調べを担当したのは同じ検察官であるからである。Nは、上着の色についても、警面では「色は覚えていません」となっていたのに、検面①では「茶系統の……上着を着ていた記憶があります」と変わっており、このN検面①の二日前に作成されたT検面①の「茶色っぽいものを着ていた記憶がある」という供述に極めて接近したものとなっているのである。これらの点に徴すると、N供述がT供述に影響を受けたことは明らかで、Tの供述情報が検察官を介してNに流入し、Nの原記憶を歪めた可能性は否定できないというべきである。はたしてそうだとすれば、Nが「坂田」の言動について捜査段階より詳細に証言し、物品受領書にサインをする際の姿勢について具体的に再現までしているとしても、真実Nがそのような原記憶を保持していたことの証左になるものではない。既に述べたところからも明らかなように、Nは、自己の原記憶を変容させ、しかも、変容しているのにも気づかずに、原記憶であると思い込んで供述していると認めざるをえない。そして、このサインの仕方の特異性がNが販売状況を記憶し、「坂田」の容貌を記憶していた大きな根拠になっていることを考えると、所論のいうNの不安、苦衷やNが利害関係を持たない第三者であることを考慮しても、原判決が「坂田」のサインの仕方についてのNの記憶が明確なものであったか疑問が残るとし、このことを「坂田」の容貌等についてのNの記憶が明確でなかったことの根拠の一つに挙げたのは相当であるというべきである。

付言すれば、そもそも、Nが一見の客である「坂田」と対応した後、捜査官からその時の販売状況や「坂田」の顔を思い出すよう求められたのは、約三か月後の昭和五九年一〇月二四日のことであり、それまでの間、Nは一度としてその時のことを思い出したことはないというのであるから、同人の「坂田」に関する関心は低く、かつ、その記憶があいまいになっていたであろうことは推測に難くないうえ、警面作成は「坂田」に応対してから約五か月後、被告人に面通ししたのは、昭和六〇年五月一日、二日で、約九か月後というのであるから、多少の特異性があるとはいえ、そのサインの仕方を鮮明に記憶しているとはにわかに考えがたい。また、容貌についていえば、例えば、顔に大きな黒子があるとか、傷があるとか、あるいは、あるタレントに似ているといったような記憶に容易に残るような特徴があるような場合は格別、そのような容貌特徴を備えていない「坂田」の容貌を、その原記憶を変容させることなく、長期間これを保持しているとは考えがたいことを指摘しないわけにはいかない。

(二)  原判決が、秋葉原営業所で圧力調整器を購入した「坂田」と蒲田営業所で電磁弁を購入した「小島」とが同一人物であることを否定した点について

所論は、原判決は、N証言をT証言と関連させてみても、①「坂田」の唇の厚さ及びサインをした際の動作についてNの記憶が明確でないこと、②Nは「坂田」の着衣の色につき「茶系統の色だった」と供述しているが、Tは「小島」の着衣の色につき、明確な記憶を持っているとはいえないこと、③Nは「目に脂肪がない感じで奥目がかった感じ」と供述するのに対し、Tは「目つきとか鼻、耳の形は覚えていない」と供述し、目、鼻等につき共通の特徴の指摘が見られないことを挙げて、「坂田」と「小島」とが同一人物であると断定するのは早計であるとした、しかし、(1)「坂田」が秋葉原営業所で買い求めた圧力調整器五個と「小島」が蒲田営業所で買い求めた電磁弁一〇個が日用品ではなく、汎用性のない特殊な流体制御部品であること、この部品を、昭和五九年八月一日という同一日に、あらかじめ電話で各個数の購入が可能であるか問い合せをするという同じ方法を用いて注文したうえ、各営業所に赴いていること、秋葉原営業所で圧力調整器が買い求められたのは午前一〇時から一一時ころの間、蒲田営業所に電話による注文がなされたのは「午前一〇時すぎの午前一一時前後」、蒲田営業所で電磁弁が買い求められたのは午後二時ころであり、蒲田営業所に電話による注文がなされた時間がまさに秋葉原営業所で圧力調整器が買い求められた直後であること、いずれも架空事業所名を用いて買い求めていること、当該部品を現金で多量に買い求める客は珍しいにもかかわらず、買い求めた双方の客の年齢、身長、髪質、髪型がほぼ一致していることなどを総合すれば、これを別人による購入で偶然の一致というものではなく、「坂田」と「小島」が同一人物であると推認するのが合理的であり、原判決の掲げる理由はこの合理的推認を覆すものではない、(2)「坂田」が物品受領書にサインした際の動作について、Nは明確に記憶しているところであり、特に、わざわざボールペンを縦にしボールペンを持った右手を浮かせるなどという「坂田」の特異な動作が、蒲田営業所で物品受領書にサインした際の「小島」の特異な動作と瓜二つであったことは、同一人の仕業としか考えようがなく、「坂田」と「小島」(すなわち被告人)が同一人であることを決定づけるものである、このことは、「坂田」なる人物の手による「坂田」の筆跡と、「小島」なる人物の手による「小島」の筆跡とを見るならば、両者に共通する、その震えを帯びた画線、四角張った稚拙な形の異様さ、文字の同大性等からして、誰もが、右各筆跡が本来の筆跡を隠すための作為筆跡であり、かつ、同一人の手によることは疑う余地はない、更に、「坂田」が秋葉原営業所において、伝票に記載する宛て名について「上様で伝票を起こしてほしい」と言ったものの、Nから「コンピューターに打ち込むんでそういうわけにはいきません」と断られ、なかなか宛て名を言わず、結局、「坂田工業でお願いします」と返事しているところ、「小島」は「協和電機」と即座に名乗っているが、それはまさしく秋葉原営業所の体験を生かしたからであり、また、「坂田」は物品受領書にサインする際、これを押さえなかったため、物品受領書が滑ってしまい、Nがこれを押さえたことがあったところ、「小島」は物品受領書の左下を左肘で押さえているが、これも秋葉原営業所の体験を生かしたからであり、このことからしても、「坂田」と「小島」は同一人と認めるほかはない、(3)原判決は、Nの「目に脂肪がない感じ」「奥目がかった感じ」という特徴を、Tが証言していないというが、これは対象を知覚するに当たっての注意の志向点を異にした結果にすぎないうえ、Nの指摘する右特徴も、被告人の特徴といえなくもない、以上のとおりで、「坂田」と「小島」が同一人であることは明らかである、というのである。

そこで、まず、所論(1)について検討するに、確かに、「坂田」が秋葉原営業所で買い求めた圧力調整器五個と「小島」が蒲田営業所で買い求めた電磁弁一〇個が日用品ではなく、汎用性のない特殊な流体制御部品であること、この部品を、昭和五九年八月一日という同一日に、あらかじめ電話で各個数の購入が可能であるか問い合せをするという同じ方法を用いて注文したうえ、各営業所に赴いていること、秋葉原営業所で圧力調整器が買い求められたのは、N証言によれば、「午前一〇時から一一時くらいの間」であるというのであり、蒲田営業所に電話による注文がなされたのは、蒲田営業所員T2の証言によれば、「確か午前一一時前後」であるというのであり、更に、蒲田営業所で電磁弁が買い求められたのは、T2及びT証言によれば、「午後二時ころ」というのであるから、蒲田営業所に電話による注文がなされた時間は秋葉原営業所で圧力調整器が買い求められた直後である可能性が高いこと、いずれも架空事業所名及び仮名を用いて買い求めていること、当該部品を現金で多量に買い求める客は珍しいにもかかわらず、買い求めた双方の客につき、Nは「歳は四〇歳くらい、身長は一六五センチくらい、髪はパーマか天然かよくわからないがちょっとパーマがかったウェーブがかった感じだった、くっきりとではなく横に大雑把に分けているようだった」と、また、Tは「歳は三五歳から四〇歳くらい、身長は一六五センチくらい、髪はちょっとウェーブがかった天然パーマかなという感じで、七三くらいに分けていたが、びしっと分けた感じではない、髪の長さは短くはなかったが、長髪ではない」と証言し、客の年齢、身長、髪質、髪型がほぼ一致する供述をしていることなどが認められる。しかし、他方、先に述べたように、本件圧力調整器五個及び電磁弁一〇個が本件放火に使用された可能性がかなり高いと認められるところ、本件における圧力調整器というのはかなり大きく、かつ、重い物であり、しかも、これを五個も買い求めているのであるから、人の目につくことなくこれを運搬する手段として車を使用した可能性が高いこと、そうだとすると、「坂田」が車を運転してきて付近の路上に車を止めたまま、店内に入るというのは警察から注意を受けるおそれもあり危険であるから、「坂田」のほかに、車を運転していた者がいることも考えられ、複数の者が一緒に行動していた可能性があることを否定できない。また、年齢、身長、髪質、髪型の類似は同一人であることを決定づけるような容貌特徴とはいいがたいうえ、例えば、身長についてのTとNの供述をみると、T検面①では「私が一六〇センチでヒールの高いサンダルをはいているのとほぼ同じ高さだったことから約一六五センチ位だと思いました」とあるところ、その二日後に作成されたN検面①では「一六〇センチある私がヒールの高いサンダルをはいて丁度同じくらいだったことから、そのように(一六五センチくらいの意)思うのです」となっていて、そのいずれも同じ検察官の作成にかかり、かつ、全く同じ文章といっても過言でないぼど、両者は酷似していることが明らかである。そして、T検面①やN検面①の前に作成された警察官の手にかかるT警面やN警面には、この「ヒールの高いサンダル」なる文言は全く使われていないことに照らすと、右各検面の「ヒールの高いサンダル」という身長を記憶していることについての具体的な根拠は、検察官の誘導によって出現した可能性が大きいといわざるをえない。はたしてそうだとすれば、年齢、身長、髪質、髪型について、TとNがほぼ類似する供述をしているからといって、両者の原記憶が真実そのとおりであったか疑問を払拭することができない。してみれば、「坂田」と「小島」が同一人物である可能性があるとしても、同一人と推認することはできないというべきである。

また、所論(2)については、「坂田」が物品受領書にサインした際の動作について、Nの記憶が明確でなく、Tの供述情報の影響を受けている可能性が大であることは前述したとおりであるから、「坂田」の右動作に関する供述と、蒲田営業所で物品受領書にサインをした際の「小島」の動作に関する供述とが類似しているにしても、この「坂田」と「小島」の動作自体が瓜二つであるとはにわかにいいがたく、これを理由に同一人の仕業としか考えようがないとする所論は当たらない。

また、「坂田」なる人物の手による「坂田」の筆跡と、「小島」なる人物の手による「小島」の筆跡とを比較検討するに、確かに、両者には、画線が震えを帯び異様であること、形が四角張っていること、文字の大きさがほぼ同様であることなど、共通点がいくつか存在し、「小島」「坂田」の字を組み替えて「小坂」「島田」として各筆跡を見ても、特に違和感もなく、よく似ていることも事実である。しかしながら、筆跡の異同識別は、筆跡の中から抽出された筆跡個性を、質的、量的の両面から検討することによって、その異同を判別するものであるところ、本件の場合、「坂田」、「小島」とそれぞれ二文字しかないうえ、同一の文字がないこと、また、自己の筆跡を隠そうとした作為筆跡であることからして、筆跡個性の抽出は極めて困難であるうえ、用紙等に指紋、掌紋がつくことを恐れて手で用紙を押さえず、また、自己の筆跡を隠すためにボールペンを立てて書くという同一書字法を用いた場合には、別人が似た字を書く可能性もかなりありうるものであることを考えれば、所論のいう外形的類似性から同一人の筆跡と断定できるものでないことは明らかというべきである。

なお、「坂田」の筆跡と被告人の筆跡の異同、及び「小島」の筆跡と被告人の筆跡の異同について言及すると、右に述べた文字数が二文字と少ないことや作為筆跡であることなどからして、「坂田」「小島」が被告人の手になるものと断定できるものでないことは多言を要しないと考えられるが、被告人の手になる多数の文書中に、「坂」「田」「小」「島」が多数存在するので、更に検討すると、特に、「坂田」の「田」の字の三画と四画の筆順、「小島」の「島」の字の二画の筆順及び七画の起筆部の突き出しという三点において、被告人の筆跡とは著しい相異点があることが筆跡鑑定の結果によって明らかである。すなわち、「坂田」の「田」の字は、正規の筆順の三画(縦画)と四画(横画)が、逆に四画、三画の順に運筆されて、横線が先で縦線が後に書かれているのに対し、被告人の「田」の字は、いずれも正規の筆順であって、三画、四画の順に運筆されている。また、「小島」の「島」の字は、二画(縦画)が三・四・五画の後に運筆されているのに対し、被告人の「島」の字は、いずれも正規の筆順のとおりに運筆されているとともに、「小島」の「島」の字の七画起筆位置は、二画終筆部の右方より運筆されているのに対し、被告人の「島」の字の七画起筆位置は、二画終筆部のかなり左側から運筆されているという稀なる書字法によっていることが認められる。もちろん「坂田」「小島」が自己の筆跡を隠そうとする作為筆跡であることからすると、このような相異点があるからといって、「坂田」「小島」の筆跡が被告人の手によるものでないとまでは断定できない。しかしながら、「坂田」「小島」の署名がなされた際の状況に照らすと、いずれもその場で要求されてN、Tの目の前ですぐに書いたものであるから、作為の程度がさほど大きいとは思われないのであって、筆跡個性の全てを完全に排除することはかなり困難であり、筆跡個性がある程度残存している可能性もあると推測される。そうだとすると、「坂田」「小島」の筆跡と被告人の筆跡との間に著しい相異点が存在することは、「坂田」「小島」が被告人とは異なる人物によって書かれた可能性を排除することはできないというべきである。

更に、秋葉原営業所における経験が蒲田営業所において生かされたことを理由に、「坂田」と「小島」が同一人であるという所論について検討するに、確かに所論のような推論もできないではないが、他面、真に秋葉原営業所における経験を生かし証拠を残さないようにするのであれば、サインをしないですます方法を採るのがよいのである。つまりどこにでも売っている三文判を購入し、持参しさえすれば、筆跡を隠すなどという面倒なことをしないですますことができるし、サインをしなければ、その特異かつ不自然な動作から店員に容貌等を印象づけることもないのであるから、所論の推論が必ずしも合理的であるとはいえない。

次に、所論(3)については、Nのとらえた「坂田」の容貌特徴は「目に脂肪がない感じ」「奥目がかった感じ」というものであり、一方Tのとらえた「小島」の容貌特徴は「唇が少し薄め」「頬の肉付きのよさ」というものであり、「坂田」の容貌の特徴は「目」、「小島」の容貌の特徴は「唇」「頬」であって、Nは「唇の薄さ」「頬の肉付きのよさ」を指摘しておらず、Tは「目」の特徴を指摘していないことに照らすと、対象を知覚するに当たっての注意の志向点を異にする場合がありうることを考慮しても、「坂田」と「小島」は、それぞれ異なる容貌特徴の持ち主すなわち別の人物である可能性の方がより大きく、少なくとも、別の人物である可能性を排除することはできないというべきである(前述のように複数の者が一緒に行動していた可能性がある以上、顔を覚えられないために圧力調整器を購入した人物とは別の人物を電磁弁の購入に赴かせることも十分に考えられる。)。

以上のとおりであるから、原判決が、N証言をT証言と関連させてみても、「坂田」と「小島」とが同一人物であると断定するのは早計であるとしたことに誤りはない。

(三)  「坂田」が被告人であることは、松本アジトからの押収物の分析等からも裏付けられるとの主張について

所論は、中核派革命軍の構成員K10が居住していたいわゆる松本アジトから押収された物の中に、「九・一九弾圧の際には、部品の購入先が問題になった。そこで新しい主要工作道具については、窃取や中古品の再生によって入手したい。新品の購入は面割れの恐れがあり後々問題になる」旨の、武器製造担当者から部品調達調査メンバーに宛てた革命軍内部の連絡文書が存在することに関して、原判決は、昭和六〇年四月二八日の被告人逮捕直後の新聞紙上に「部品の販売ルートから店頭でのやりとり等が被告人の検挙につながった」などと報道されており、右文書作成者がこれらの新聞報道により知識を得ていたことも考えられるとして、右文書の存在は被告人の電磁弁・圧力調整器購入を裏付けるものではない、とした、しかし、中核派ないし同派革命軍は、常に軍構成員に対して活動に関する防衛点検報告を義務づけ懸命に組織防衛を図っているのであり、右文書が組織防衛を意図したものである以上、その内容が慎重に吟味された事実を前提としていること、つまり、被告人逮捕に伴ってその行動を総点検・総括した結果を前提にしていることは明らかであり、単なる新聞報道を前提に右文書が記載されたかもしれないなどというのは、中核派ないし同派革命軍の実態を全く理解していないものといわざるをえない、中核派は、右報道があった直後の昭和六〇年五月五日緊急記者会見を行って、甲同志……が九・一九戦闘の準備、調達、実行等に参加したというのは完全なデッチ上げである。……甲同志が「調達」等の任務に従事していたということは絶対にない」などとの声明を発表するとともに、「前進」紙上でも同様の主張をして、新聞報道記事を否定しているのであって、そのことからしても、右文書作成者が中核派ないし革命軍内部の総点検・総括した結果に基づくことなく、単に新聞報道記事のみによって同文書を作成したとはいえない、新聞報道如何にかかわらず、被告人の部品購入が事実であったからこそ、被告人逮捕を反省材料として、右文書作成者である武器製造担当者が武器の入手ルートを調査するに当たって、部品調達・調査メンバーに宛てて、その事実を知らせ、警告を発したものと認める以外になく、右文書はN証言の信用性を一層増強するものといわなければならない、というのである。

そこで、検討するに、所論「旋盤の入手に向かって」という書出しで始まる文書(作成日付けは、昭和六〇年一二月一五日)は、中核派革命軍K10が居住するいわゆる松本アジトから押収されたものであるところ、当審で取り調べた大津地方裁判所における右同人に対する公務執行妨害被告事件中の警察官Aの証人尋問調書によれば、警備当局がK10を「関西革命軍のナンバーツー」と把握していたことが明らかとなったのであるから、この松本アジトは関西における中核派の活動拠点と推測される。そうだとすれば、関西における中核派と関東における中核派の連携の実態が明らかでない以上、中核派ないし同派革命軍が懸命に組織防衛を図っているであろうことを考慮しても、原判決が、右文書作成者が「昭和六〇年四月二八日に被告人が逮捕された直後に、被告人逮捕については、部品の販売ルートから、店頭でのやりとり等が検挙につながった」旨報道した新聞記事が多数存在することを理由に、これらの新聞記事によって知識を得ていたことも考えられるとしたことが不合理であるとはいえない。

そして、仮に、右文書作成者が、本件圧力調整器五個及び電磁弁一〇個の購入担当者が被告人でないと考えていたとしても、革命軍のメンバーがこれを購入し、その結果、革命軍のメンバーである被告人が逮捕されたという事実から、これを教訓として、部品の調達は新品の購入によることなく、窃取や中古品の再生によって入手したいとする前記文書を作成したことも十分考えられるので、右文書の存在は、必ずしも被告人が圧力調整器ないしは電磁弁の購入者であることを裏付けるものとはいえない。

以上のとおりで、所論を逐一検討しても、N証言の信用性は高いものとはいえず、被告人が圧力調整器五個を購入した事実を認めることはできない。原判決に所論の事実誤認はない。

三  Tの証言の信用性について

原判決は、Tの証言の信用性を肯定して、被告人がシーケーディ東京販売株式会社蒲田営業所において電磁弁一〇個を購入した事実を認定したが、これに対し、弁護人は、T証言の信用性を強く争うので、以下、検討することにする。

1  まず、Tの証言の内容は、原判決が摘示しているとおりであるが、その要旨を再録すると、次のとおりである。

Tは、昭和五五年九月一日から同五九年一二月二八日まで、シーケーディ東京販売株式会社蒲田営業所に勤務していた。営業所の業務内容は、電磁弁、シリンダー、圧力調整器、バルブなどの機器の販売であり、同人の仕事内容は営業事務で、具体的には電話注文の客ないしは来店する客との応対、伝票の作成や処理などであった。

商品の販売方法には店頭売りと掛売りの二つがあるが、掛売りがほとんどで、店頭売りは、月によっても違うが大体一割あればよい。店頭売りの客が買う電磁弁の個数は普通は一回について一個か二個であり、電磁弁一〇個くらいをまとめて売ったことは、一度しかなく、その時期は昭和五九年八月上旬くらいである。

商品を販売する際には、カーボンの複写式になっている六枚綴の伝票を作成する。伝票は一枚目が受注控、二枚目がインプット用紙、三枚目が入金控、四枚目が納品兼請求書、五枚目が物品受領書、六枚目が領収書である。物品受領書を見れば、伝票を書いた月日すなわち売った月日、販売担当者、客の会社名、型番と数量がわかるようになっている。「小島」なる人物に電磁弁を現金売りした際にも、伝票を作成した。本件物品受領書がその時の物品受領書であり、受領印欄の「小島」という部分以外は全部Tが記入したものである。これによれば、販売の日は昭和五九年八月一日である。

その時の具体的状況については、売ったのは午後二時ぐらいだと思う。その客は男性で連れがいたかどうかはわからないが、店に入ってきた時は一人だったと思う。客が入ってきた時、Tは入口の客から見て左側の整理棚の前にいた。T2が電話で在庫確認を受けていた様子で、同人のノートに型番が書いてあり、T2に現金売りの客であると言われ、Tが引き継いで応対した。電磁弁一〇個は、Tが営業所に隣接する倉庫に取りに行き、段ボールに入れて持って来て、入口を入ってすぐのところにある高さ九〇センチメートル、幅四〇ないし五〇センチメートルのスチール製書類棚を利用したカウンター上に置き、カウンターのところにTが立ち、客は向い側に立つという位置関係であった。

その後、Tはカウンターから歩いて四、五歩のところにある自分の机の上で六枚綴の伝票を作成した。その時、伝票のお客様名欄の「協和電機」のうち「協和」については、どのような字を書くのか客に向かって聞くと、客は「協力の協、平和の和」と言ったと思う。「電機」はTが自分で勝手にこの字と思って書き込んだ。この話をしている時、Tは事務机からカウンター越しに客の顔を見た。

納品兼請求書、領収書及び物品受領書については、Tがカウンターのところに持って行った。おそらくまず代金四万三七〇〇円を頂き、物品受領書にサインしてもらったと思う。サインは、カウンターの上で何も敷かずに、Tがいつも使っている黒のボールペンを使ってしてもらった。客は左肘で物品受領書の左下の方を押え、ボールペンを右手で持ちほんとに真っ直ぐ立てて、非常にゆっくり書いた。書きにくそうで伝票が動いたので、Tが押えてやった。サインの時には、カウンター越しに客の顔をすぐそばで見ている。客には納品兼請求書と領収書を渡した。応対した時間は五分くらいだったと思う。

販売した時の状況をよく覚えているのは、数量が多いことと、サインの仕方がちょっと奇妙だったからである。

それまでの得意先に「協和電機」はないし、現金売りをした客の中にも「協和電機」はない。昭和五九年八月一日以降退職するまでの間にも、「協和電機」に物品を販売したことはない。その客に会ったのは、その時一度だけである。

客の年齢は三五歳から四〇歳くらいで、身長は一六五センチメートルくらいだったと思う。髪はちょっとウェーブがかった天然パーマかなという感じで七三くらいに分けていたが、びしっと分けた感じではない。髪の長さは短くはなかったが、長髪ではない。体格は普通だったと思う。服装や服の色は覚えていない。ネクタイはしてなかったんじゃないかと思う。眼鏡を掛けていたかどうかは覚えていない。唇が少し薄めだった。頬の辺が少し肉付きがよかったかなという感じで、太っているというよりも、ちょっと耳のやや前辺りの顎の近くが張ったような感じで、ちょっとふっくらというか、えらがちょっと張ったというような感じだった。

昭和五九年一一月ころ、警察官から、物品受領書を見せられてその客のことを聞かれ、先程述べた客の特徴などを話し、また、三分冊の写真帳を見せられて、「なんか見たことあるような人がいたら、何枚でもいいですから選んでください」と言われたので、第三分冊の一七の右下の写真(被告人)を年齢的なところとほっぺたの感じから似ていると思い、迷わずに選んだ。昭和六〇年一月ころ、検察官から写真帳を見せられ、一一〇番、一三四番の各写真(いずれも被告人)を八月一日の客として選んだが、一一〇番は年齢的に若く、一三四番の写真が八月一日の客の印象に近い。また、同年五月に、被告人についての面通しをし、随分頬がこけてしまったなという感じを受けたが、年齢の感じ、髪型、唇が薄いという点を含め、断言はできないが、「小島」という客と同一人物だと思った。

公判廷(昭和六二年二月一三日)にいる被告人の顔を見て、どこかで見たことがあるという記憶がある。八月一日の「小島」と名乗った客と全体的に似ている。断言はできないが、同一人物だと思う。どこか違うなという点は特にない。

そして、原判決は、Tの「小島」目撃時の観察条件、記憶の状況、犯人識別に至る経緯、供述の内容・状況を総合して、電磁弁一〇個を購入した人物が被告人であるとするTの証言を信用できるとしたことが明らかである。

2 そこで、検討するに、確かに、Tは、捜査段階から原審公判廷を通じて、大筋において一貫して右供述を維持していること、右供述内容は具体的かつ詳細であり、特に「小島」が物品受領書にサインをする際の姿勢について再現までしていること、Tが全く利害関係を有しない第三者であること、たまたま「小島」なる人物に電磁弁を販売したという偶然から大事件に巻き込まれ、証言せざるをえない立場に追い込まれたTが、被告人やその支援者である多数の傍聴人の面前で、殊更記憶に基づかない証言をするとは考えがたいこと、それに、証言態度の真摯性等を勘案すれば、原判決がT証言の信用性を肯定したのも、あながち理解できないわけではない。

しかしながら、Tは、一見の客である「小島」と応対した後、捜査官から「小島」名義の物品受領書を発行したことの確認を求められたのは約四か月後の昭和五九年一一月二七日、警察官による写真面割りは翌二八日、警面作成は同年一二月四日、検察官による写真面割りと検面①作成は昭和六〇年一月一七日、更に被告人の面通しと検面②作成は、同年五月二日で、「小島」と応対してから実に約九か月後というのであるから、T証言の信用性については慎重な考察が必要であると考えられる。

しかるところ、T証言は、看過できないいくつかの問題点を包蔵しているといわざるをえない。主要な点は以下のとおりである。

(1) まず、Tの観察条件は、顔の容貌特徴の確認という観点からみると、必ずしも良好なものとはいえないように思われる。確かに、Tは、「小島」なる人物と約五分間くらい、会話をまじえながら応対し、その間にはカウンターをはさんで四〇ないし五〇センチメートルという至近距離の位置で「小島」の顔を見たりもしていることは、原判決の指摘するとおりである。しかしながら、会話とはいっても、客と応対した店員という関係において、伝票を書くときや品物あるいは納品書等を渡すときに事務的な最小限の言葉をかわしたにすぎず、客の容貌等を印象づけるような内容のあるものではないし、Tは、応対した約五分間のうち、「小島」の顔に目を向けていた時間というのは、そのうちの一部であるうえ、カウンターをはさんで至近距離の位置で見た時間は更に限られ、しかも、正面から見た時間というのはなお一層限られることに留意しなければならない。

また、Tが「小島」の顔を見たといっても、それは、日常業務を遂行する場面において、見たにすぎないことに注意する必要がある。つまり、Tは、蒲田営業所において、客からの電話注文を受けたり、店頭客に応対するなどの営業事務を担当していたものであるが、「小島」に応対した時点において既に四年近くも右業務を続け、「小島」と応対後も約五か月間右業務に従事していたことが認められ、このようにTは日常業務の一環として「小島」に接したものである。そして、Tが、「小島」に対して、今後継続的に取引をしてほしいといったような職業上の関心・興味を抱いたような形跡は見当たらず、Tにとってみれば、「小島」は、T2から応対を引き継いだ単なる一見の客という以上の存在ではなかった。また、「小島」の容貌に関して、誰某に似ているといったような特定の人物に関連づけて記憶にとどめるとか、同人に特に好悪の感情を抱くといったような個人的な関心を抱いた形跡もない。以上のことからすると、同人の「小島」に向けた注意の水準は必ずしも高くはないと認められるのであって、Tが「小島」を「見た」といっても、「小島」の容貌を記憶にとどめる意志をもって注意深く観察したというようなものではなかったことに留意しなければならない。

以上のとおりで、Tの観察条件は、観察の時間や個人的関心の程度、注意の水準のどれをとっても、原判決がいうほどに問題のないものではなく、むしろ、約四か月後に記憶を思い起こしたうえ、正確に人物を再認し同定することが可能かという観点から吟味してみると、それを肯定するに足りるほどの良好なものではなかったといわざるをえないように思われる。

(2) T証言によると、「小島」が印象に残った理由として、電磁弁一〇個の現金売りが蒲田営業所においては特異な出来事であったこと及び「小島」が物品受領書にサインする仕方が特異であったことを挙げているところ、原判決は、T2の証言に照らしても、右の電磁弁一〇個の現金売りは特異な出来事であったことは間違いなく、また、サインの仕方についてのTの供述が具体的で臨場感があり、同人自身がその姿勢を公判廷において再現できたことともあいまって、証言の信用性を高めているとして、「小島」が印象に残ったというT証言は十分首肯できる旨判示している。

確かに、蒲田営業所における電磁弁の現金売りの個数が通常は一個か二個程度であり、「小島」に販売した一〇個という個数は、TやT2にとって初めてであったことが認められる。しかし、一〇個という数は、同営業所で在庫している範囲内の数で、他の営業所から急きょ取り寄せなければならないほどの数ではないうえ、Tが一〇個という数の多さに驚き、客に用途を尋ねるとか、販売後に店員らの間において数の多さを話題にした形跡も見当たらない。Tは、T2から指示を受けて「小島」への応対を引き継いだ際、個数の多さからその数を再確認することもなく、言われるままに倉庫まで電磁弁一〇個を取りに行っているのである。Tは、弁護人から、一〇個という個数をどう思ったか質問されるや、「一〇個か、ぐらいしか思わなかったと思いますけど」と答えていることからも窺われるように、一〇個という個数ゆえに、販売状況の詳細、更には、客の容貌が印象に残るほど、その個数が特異性を持ち合せているとは思われない。また、「(客は)左肘で物品受領書の左下の方を押え、右手に持ったボールペンを真っ直ぐ立て、非常にゆっくり書いた」「書きにくそうで伝票が動いたので、(Tが)押さえてやった」というTの証言は具体的で臨場感があるといえなくもない。しかし、他面、Tは、弁護人から質問されて、次のように、その時の印象を語っている。すなわち

(問い)「あなたから見て、肘で押さえるのは、何か特別の訳があったように見えましたか」

「この人はこういう人だと思いました」

(問い)「あなたとしては、なぜそういう恰好をするのかという理由までは、考えなかったわけですね」

「ちょっとはおかしいとは思いましたけど、そんな、人がやることにあれですよね。追及するわけでもないし」(問い)「肘で押さえることは非常に奇妙に思ったと、あるいはちょっとおかしいなと思った、あるいは世の中にはこういう人もいるんだと思った、こういうふうに大雑把に分けた時に、あなたの気持ちは私が今言ったので、どれに近いでしょうか」

「ちょっとおかしいなぐらい」

(問い)「それでお客さんがボールペンを立てて書く理由は何かあると思ったんでしょうか」

「そういう癖だと思いました」

右のように、Tは、サインの仕方についての印象を語っているのであって、この証言からすれば、Tが客の「小島」に不審感を抱き、特異な人物として注目した様子は窺われないのであって、販売当時サインの仕方が多少変わっているという印象を受けたとしても、サインの仕方が販売状況の詳細、とりわけ、客の容貌を長く記憶に刻むことを可能とするほどの契機となるような特異性を有しているとは思われない。

そして更に述べれば、電磁弁の販売個数であれ、サインの仕方であれ、Tを含め、店員らが販売後にそのことを話題にしたふしはないばかりでなく、T自身、約四か月後に警察官が事情聴取に来るまで、「小島」への販売やその容貌について一度も思い出したことはない旨証言しているのであって、Tにとっては、「小島」への販売がさほど異常な出来事ないしは関心を引く出来事ではなかったことが窺われるのである。

また、Tの証言する販売状況が具体的で詳細ではあるものの、警察官から初めて事情聴取されたのが約四か月後というのであるから、日常業務の一場面を生の記憶としてその詳細まで覚えているというのはかえって不自然といえなくもなく、Tの詳細なる供述は、物品受領書に残された痕跡すなわち販売日時、商品名、数量、金額、客のサイン、特に震えを帯びた特異な筆跡などを手掛かりとし、これに日常業務からの知識や類推をまじえて記憶を再構成した結果に基づくと解する余地がないわけではない。

右のとおりで、Tの述べる販売状況が具体的、詳細であること、更には、Tが公判廷でサインをした際の「小島」の姿勢を再現したとしても、必ずしも「小島」の容貌に関するT証言の信用性を担保するものではなく、むしろ、Tが一見の客である「小島」への販売をさして特異な出来事であると受け止めなかったという前記の状況からすれば、「小島」の容貌についての記憶は本来希薄なものであった可能性は否定できないように思われる。

ちなみに、Tと同じような体験をし、ほぼ同じ時期に警察から記憶の再起を求められたNが「坂田」のサインの仕方を覚えていないと述べていたのにもかかわらず、公判廷においてはサインの姿勢まで再現していることを指摘しないわけにはいかない。

(3) 更に、「小島」の容貌に関するTの証言も、原判決がいうほどに具体的なものとはいえないように思われる。すなわち、原判決がとりあげたところの、Tが記憶していたという「小島」の容貌特徴は、①年齢が三五歳から四〇歳くらい、②身長が一六五センチメートルくらい、③髪が、天然パーマのようなちょっとウェーブがかった感じ、七三くらいに分けていたが、ぴしっとした分け方ではない、長さは短くはなかったが、長髪ではない、④唇が少し薄め、⑤頬の辺が少し肉付きがよかったかなという感じで、ちょっと耳のやや前辺りの顎の近くが張ったような感じで、ちょっとふっくらというか、えらがちょっと張ったような感じ、の五点に整理できるところ、このうち、①の年齢、②の身長、③の髪は顔の特徴ではなく、狭義の顔の特徴といえるものは、④の唇、⑤の頬の辺りの二つにすぎない。Tの容貌供述には、人物特定のために重要な要素である目鼻だちの部分に関する供述がないのである。「唇」と「頬の辺」のみでは、人物の個性を判断するための要素としては不十分であり、唇が少し薄めであるとか、頬の辺が少しふっくらしているという程度で、はたして約四か月後に一見の客の顔を思い出し、その顔を再認・同定できるのか疑問を抱かざるをえないのである。

なお、Tの容貌供述は、原判決がその容貌供述があいまいであるとして信用性を否定するN証言と比較しても、特段の差異はなく、N証言をあいまいであるというなら、T証言もまたあいまいであるといわざるをえないことも付言しておきたい。

(4) 先に述べたように、Tが一見の客である「小島」と応対した後、捜査官から「小島」名義の物品受領書を発行したことの確認を求められたのは約四か月後の昭和五九年一一月二七日、警察官による写真面割りは翌二八日、警面作成は同年一二月四日、検察官による写真面割りと検面①作成は昭和六〇年一月一七日、更に被告人の面通しと検面②作成は同年五月二日であることが明らかであるが、Tが「小島」を被告人であると初めて同定したのは、警察官の写真面割りの結果に基づくものであり、爾後の検察官の写真面割りや被告人の面通しによる同定は、当初の面割りによって得られた情報からの影響を避けがたく、言ってみれば、当初の面割りの正確性を確認する作業といってもよいから、警察官の写真面割りに基づく同定についてとりわけ慎重に検討する必要があると考えられる。

まず、T証言によれば、「電磁弁を一〇個販売したことについて、昭和五九年一一月ころ、警察官から事情を尋ねられたことがある。その際、物品受領書を見て、だんだんと販売の状況等を思い出した。八月一日の客の特徴などを話した後、警察官から写真帳三冊を見せられた。Tが「あんまりよく覚えていないから、見てもよくわからない」と言ったら、「じゃあ、なんか見たことがあるような人がいたら、何枚でもいいですから選んでください」と言われて、一枚ずつ確認しながら選んだ。年齢的なところとほっぺたの感じから八月一日の客に似ていると思い、三冊目の一七の右下の一枚(被告人の写真)を迷わずに選んだ。髪型や唇の薄さも記憶にあった。写真帳に予め印がついていたとか、警察官から八月一日の客が必ずいるはずであるとか、写真帳に写っている人がどういう人であるとかの説明はなかった。」というのである。そして、Tに事情を聴取し面割りをした警察官S5の証言も、このT証言と概ね一致していることからすれば、写真面割りの状況は右のようなものであったと認められ、これによれば、警察官においてTが被告人の写真を選ぶように仕向けるなどの不当な誘導等を行った形跡を認めることはできない。

しかしながら、Tの容貌記憶について更に子細に検討すると、同人は弁護人の質問に対して、次のように答えているのである。すなわち、

(問い)「じゃあ その物品受領書を見せられてあなたはまずどういうことを思い出しましたか」

「すぐには思い出しませんでした」

(問い)「物品受領書を見てサインは自分であると、それはすぐ確認できたんでしょう」

「それはすぐわかります」

(問い)「それでサインが自分だということから、ああそういえばというふうにして思い出すんでしょうが その思い出すまでどのくらいの時間がかかったか あるいはどのようなやりとりが警察官とあったか それをご証言いただけますか」

「先程もいいましたけど 売った人は男だったとか 年齢とか 顔自体覚えてますかとも聞かれましたけど まあ細かい顔のつくりとかは全然わかりませんので、ですから時間としては……だんだんとは思い出しましたけど……段取りなんて ちょっとわかりません」

(問い)「だんだん思い出していくといって、最終的にはその警察官とのやりとりの中で あなたは八月一日の電磁弁を売った人の顔を思い浮かべるようになったんですか」

「はい」

(問い)「それは写真を見る前ですか」

「いえ、写真見てからです」

(問い)「じゃあ あなたはその警察官とのやりとりの中では、また電磁弁を売った人の顔までは思い出してなかったわけですか」

「細かい内容はわかりません」

(問い)「大体どういうことをその時点で写真を見る前に思い出してたんですか」

「髪型とか、えらが少し張ったような感じとか、あとは年齢ですね、あと男性だということと……そのくらいです」

(問い)「男性、年齢というのを除きますと 具体的なその人の顔の特徴というのは髪型と、えらが張っていると。その程度なんでしょうか」

「あと、くちびるがやや薄い感じがあったかなという感じで」

(問い)「写真を見る前にですか」

「はい」

(問い)「目付きとか鼻とか耳の形とか……」

「そんなの覚えてないです」

(問い)「じゃああなたとしては 男性の特徴を思い浮べたというようなことなんでしょうかね」

「特徴というよりか まあ覚えてることを話しただけなんで」

(問い)「じゃあ、髪型、えらが張ったような感じ、くちびるが薄いような感じ、これはその時点で その警察官にお話したんですか」

「はい」

(問い)「警察官は それ以外の点はどうかというようなことは聞いてきませんでしたか」

「聞かれましたけれども そんなに覚えてないです。覚えてないものしゃべれないんで」

(問い)「覚えてないのはしゃべれないと あなたは言ったんですか」

「はい」

以上のように、答えているのである。

右のやりとりからすれば、Tは警察官から物品受領書を見せられても、「小島」に対する販売状況や「小島」の容貌はすぐには思い出せなかったこと、写真を見る前には、年齢、髪型、えらが少し張ったような感じ、唇がやや薄いような感じを思い出したが、細かい顔の作りとかはわからず、目付き、鼻、耳とかは覚えていない状態であったこと、「小島」の顔を思い浮かべるようになったのは、写真を見てからであることが指摘でき、これによれば、写真を見る前の段階においては、Tは「小島」の顔のイメージを具体的かつ明確には思い浮かべることができなかったものと認めざるをえない(なお、Tが写真を見る前に「小島」の容貌等について右の程度であっても供述していたとするならば、捜査官としてはそれを供述調書に録取し、写真面割り前のTの原記憶の保全、立証に努めるべきであったと思われる。)。

Tは、弁護人から「あなたは写真帳を見せられる前に警察官に何か言いましたか」などと問われて、「よく覚えていないから見てもわからないですと言ったと思います」「顔自体を細かく目がこうだとか鼻がこうだとか そういうことを覚えてないんで選びにくいという形でそういう気持ちがあって写真を見る前に警察の方に言ったんです、覚えていませんって。ほんとにちゃんと覚えてなくちゃ写真帳を見てもしょうがないと思ったんで。はっきり全部覚えてないと見てもしょうがないと思いましたので。」と答えていることも、Tが「小島」の顔のイメージを具体的かつ明確に思い浮かべていないことを裏付けているといって差し支えない。もっとも、Tは、右のように述べるその一方で、「(……八月一日に応対した人の写真がもしあれば選び出せるかもしれないというような気はありましたか)少しはありました」と答え、それなりの自信を示しているが、そのことに十分留意しても、なお、前記供述は、その自発性・具体性等に徴し、同人の真意を素直に表したものと思われるのであって、Tが「小島」の顔のイメージを具体的かつ明確に思い浮かべていないことは間違いないと考えられる。

また、Tの容貌供述を前提とすると、Tは、「小島」の顔の造作について、人物特定の判断に重要な要素となる目、鼻などを思い起こせず、頬の辺と唇だけを思い起こしたということになるが、「顔を思い浮かべる」ということは、その人物の顔の全体について再生できている状態を意味し、そのごく一部にすぎない頬の辺と唇だけを再生するということは通常ありえないように思われることに照らすと、Tのこのような容貌に関する記憶喚起はいささか不可解というほかない。そうだとすれば、Tが供述する、「頬の辺がちょっとふっくらした感じ」とか、「唇が少し薄めの感じ」というのも、そもそも、明確に記憶を再起していたのか疑問を入れる余地がないわけではない。

そして、Tが写真帳を見る前の段階における「小島」の容貌に関する記憶の喚起が右のように漠然としたものであったがために、警察官S5は「なんか見たことがあるような人がいたら、何枚でもいいですから選んでください」と言い、Tも、S5の指示に従って、「これまでに見たことがあるような人」という印象により写真を選別し、次にその人物を「小島」であると同定するという二段階の思考過程を踏んで選別・同定した疑いがあるといわざるをえないのである。このことは、弁護人の質問に対して、Tが次のように答えていることによっても明らかである。すなわち、

(問い)「警察官が聞いてきたのは写真帳から選びなさいということは見たことがある人という趣旨でしたね」

「はい」

(問い)「あなたとしては写真帳を見る前に八月一日に見た人を選ぼうという気で写真帳を見ていきましたか。それとも警察官の言うようにとにかく見たことのある人をさがしてみようという気持ちで見ていったんでしょうか。どちらでしょうか」

「警察の方からそういうふうに言われたんで その通り素直に見ました」

(以上、原審第二九回公判)

(問い)「それであなたが一枚の写真を選び出したわけですね。この第三分冊のNo.17の写真の三枚のうちの下段の右側の写真を選び出したわけですね」

「はい」

(問い)「この選んだ基準は先程の面通しの時のあなたの御証言と比較してみると、この写真も今までどこかで会ったことがある人を選んだんだと、こういうふうな基準で具体的にはこの写真は選び出されたものではないですか」

「どこかで会ったということで選んだんですけれども」

(問い)「No.17の三枚の写真のうちの一枚というのも、まずはどこかで会ったことがある人だなあということで選ばれたわけですか」

「はい」

………………(中略)……

(問い)「No.17の下段の右側の写真をまずどこかで見たことがある人だなというふうに選ばれて、その後どこで見たことがある人かなあというのを思い出して行く過程で、どういう所で会った人たちのことをまず思い出して、まず違うかどうか考えて行かれました」

「さっきお話したのじゃだめなんですか」

(問い)「先程は面通しの時のことについて聞いたんですけれども、今は写真を選んだ場合のことについて聞いているわけです」

「選ぶ過程は先程と同じです」

(問い)「そうすると、あなたの友人とか親戚とか日常生活であなたが会っている買物の時のお店の店員さんとか、また蒲田営業所の人でも、四年間あなたが仕事をしていた時に会った人、そういう人をずっと含めて思い出した結果、選んだんですね」

「はい」

(問い)「そういうふうにまずNo.17の下段の右側の本件の写真を選んだ時には、その瞬間にはどこで会った人かなというのはわからなかったわけなんでしょう」

「はい」

(以上、原審第三〇回公判)

以上のように答えているのであって、このやりとりからすれば、Tは、No.17の下段右側の写真を見てぱっとあの時の客だと思い出したわけではなく、まず「どこかで会った人」という印象により右写真を選別したうえ、いろいろ考えてその人物を「小島」であると同定したという二段階の思考過程を踏んで選別・同定した疑いがあるといわざるをえない。もっとも、Tは、右のように述べるその一方で、「(とくに八月一日、先程あなたがご証言になったような部分的な記憶しかない人の顔を何とかさがそうと そういう気持で見たわけではないということですか)そういうのもあります」と答えている部分もあるが、この証言部分は、Tが「どこかで会った人」かどうかを素直に見ていったと述べていること、その旨を何度も繰り返し述べていることなどに照らして、前記判断を左右するものではない。そうだとすると、原判決が、「Tは、言葉どおりに、「これまでに見たことがあるような人」の写真を選別したのではなく、小島の写真を探して、選別したものと考えられる」と判示したのは相当でないといわざるをえないのであって、このようなTの選別・同定の二段階的思考は、「小島」についての容貌記憶の欠如ないし曖昧さを物語る以外の何物でもなく、その選別・同定の危険性は明らかというべきである。

そして仮に、Tの思考過程が前記の二段階的なものではなく、「小島」の写真を探して選別したものであるとしても、Tが写真帳を見る前の段階における「小島」の容貌に関する記憶の喚起が前記のように漠然としたものであったことは間違いなく、Tは、「頬の辺がちょっとふっくらした感じ」と「唇が少し薄めの感じ」を拠り所にして、写真帳の中から最も似ていると感じた人物を選びだし、その写真の人物すなわち被告人が客の「小島」であったように思うと判断し、それを根拠に再認・同定したという可能性を排除できないように思われる(なお、右写真帳は全体で三六四枚、三四六名、被告人が含まれている第三分冊に限っても、五一枚、四二名という多数の写真で構成されており、被告人と同じような年齢、容貌を持った人物の写真も含まれている。もっとも、第三分冊の四二名中逮捕写真のほかに免許証関係の写真が貼付されているのは、被告人を含め三名であり、その三名中被告人のみが二枚の免許証関係の写真を貼付されていることが認められる。このように各被写体の写真の枚数、逮捕写真の番号が付いているか否かの有無、写真の種類の点において不統一であることは望ましいことではないが、前記の諸点に照らし、面割りに用いるものとして不適当なものとはいえない。)。

(5)  更に、先に判示したように、「小島」の筆跡が被告人の手によるものと断定できないことは、文字数が二文字と少ないことや作為筆跡であることなどからして、多言を要しないばかりでなく、被告人の手になる多数の文書中に、「小」「島」が多数存在し、特に「小島」の「島」の字の二画の筆順及び七画の起筆部の突き出しという二点において、被告人の筆跡とは著しい相異点があることが認められる。この点の重要性にかんがみ、煩をいとわず再説すると、「小島」の「島」の字は、二画(縦画)が三・四・五画の後に運筆されているのに対し、被告人の「島」の字は、いずれも正規の筆順のとおりに運筆されているとともに、「小島」の「島」の字の七画起筆位置は、二画終筆部の右方より運筆されているのに対し、被告人の「島」の字の七画起筆位置は、二画終筆部のかなり左側から運筆されているという稀なる書字法によっていることが認められるのである。もちろん「小島」が自己の筆跡を隠そうとする作為筆跡であることからすると、このような相異点があるからといって、「小島」の筆跡が被告人の手によるものでないとまでは断定できない。しかしながら、「小島」の署名がなされた際の状況に照らすと、その場で要求されてTの目の前で書いたものであるから、作為の程度が大きいとは思われないのであって、筆跡個性がある程度残存している可能性があることからすると、「小島」の筆跡と被告人の筆跡との間に著しい相異点が存在することは、「小島」が被告人とは異なる人物によって書かれた可能性の方がより大きいと考える余地があるというべきである。

以上指摘したように、Tの証言は、目撃証言として看過することのできない問題点をいくつも包蔵しているのであって、Tは「小島」の容貌を明確かつ具体的に思い浮かべることができないままに、写真面割りに臨み、「どこかで会った人」という印象により写真を選別したうえ、いろいろ考えてその人物を「小島」であると同定した疑いがあり、そうでなく「小島」を探して選別したとしても、与えられた写真中から「頬の辺がちょっとふっくらした感じ」と「唇が少し薄めの感じ」を拠り所にして、最も似ていると感じた人物である被告人を選び出し、被告人が「小島」であると思い込んで再認・同定した疑いがあるから、T証言に高度の信用性を付与するのは危険であり、結局、原判決は、T証言の信用性の評価を誤っているといわざるをえない。そうだとすれば、被告人が蒲田営業所において電磁弁一〇個を購入した事実を認めることはできないから、原判決にはこの点において事実誤認があり、弁護人の主張は正当と認められる。

四  被告人の中核派における地位等に基づく検討

以上述べてきたところからすると、被告人が本件犯行ないしその準備の過程において、具体的に関与した事実の立証は果たされていないことに帰するので、被告人に共同正犯ないし幇助犯の責任を帰せしめる根拠はないというほかないが、具体的関与がなくとも、被告人の中核派における地位等に基づき、共謀共同正犯の責任を負わしめることができるか、更に検討することにする。

この点についての検察官の所論は、要するに、原判決は、警察官Bらの証言等によっても、被告人が中核派革命軍の脈管であって、同軍の組織編成、構成員の動静等を知りうる枢要な地位にあったとは認められない、また、被告人を昭和六〇年四月二八日に逮捕した当時、被告人の身体及び居室から押収した諸証拠物の分析結果等によっても、被告人が、逮捕当時中核派革命軍の一組織「ARI」に所属していたことは認められるが、本件犯行当時にも「ARI」が存在し、被告人が右組織に所属していたかは不明であるうえ、「ARI」と革命軍の他の組織との役割分担・任務、被告人の役割分担・任務が不明であり、被告人が事前に本件犯行計画を知らされていたとは推認できない、本件犯行が中核派革命軍に所属する者らによる犯行であるとしても、そのうちのいかなる組織、構成員らが実行したのか、被告人が右組織、構成員らといかなるかかわりを持ち、いかなる役割を果たしたのかも立証されていない、したがって、被告人が事前に犯行計画の全貌を知っていたとの立証はできておらず、被告人に犯意及び共謀を認めることはできないなどと判示した、しかし、本件犯行当時、被告人が革命軍脈管ないしこれに匹敵する重要な任務を担っていたことは、警察官C、同B、同Dの各証言、被告人から押収した諸証拠物、平成元年五月五日静岡県清水市内で逮捕した中核派革命軍のK1から押収した「ISG」文書等から明らかである、また、被告人は逮捕された際、「偽造車検証(チョコレート)作成依頼文書」を所持していたが、この文書は、被告人の所属する「ARI」が任務を遂行するうえで、「足立」ナンバーの偽造車検証が必要になったため、その作成方を依頼したもので、都内における対権力ゲリラ闘争の準備であると推認できることなどからして、被告人は革命軍の闘争に深いかかわりを有し、次期作戦を知っていたと認められ、また、被告人の居室の捜索の結果、被告人が対権力ゲリラ闘争を実行するうえで重要な意味を持つ超短波無線受信機等や、本件犯行を大々的に報じた「前進」一二〇五号及び新聞二紙のコピーを隠匿していたものであって、被告人が本件犯行を含む一連の対権力ゲリラ闘争等の革命軍の闘争に深くかかわるとともに、本件犯行に格別の強い関心を持ち続けていたものと認められ、これに、前記のとおり、被告人が革命軍脈管ないしこれに匹敵する重要な任務を担っていたことを総合勘案すれば、被告人が本件犯行に関与していたことは十分推認することができる、などというのである。

そこで、検討するに、警察官C、同B、同D等の原審証言等によれば、中核派革命軍には「脈管」という部門が存し、その具体的任務ないし役割としては、①組織上部から軍に対する指示・命令の伝達、軍から組織上部に対する報告・連絡文書等の受渡し、軍内部の各部門に対する指示等の伝達・連絡を行うこと、②軍構成員相互の接触時に警察から検挙されることを防止し、いわゆる革マル派から襲撃を防ぐために不審者を発見したり見張りをしたりして支援・防衛すること、③武器、資材等の受渡し、その防衛、④軍構成員に対する機関誌紙の配付、⑤車の維持、管理、運転等に整理できるというのであり、その基本的任務としては、「人と人との接触」「物品の受渡しの接触」に凝縮され、右基本的任務を遂行するために、①右各接触のためのドッキングメモを所持すること、②接触場所の開拓を図り、ドッキングに使用するための基礎的調査資料を多数所持すること、③接触のための非公然車両の運転・管理を行うことの三点が脈管としての当然の責務となり、これらが脈管の特徴点として挙げられる、というのである。警察官の描くこの「脈管論」は、「革共同中央」や「中央軍事委員会」と革命軍との関係、革命軍と脈管との関係、脈管と革命軍の他の部門との関係等もいまひとつ解明されていないのであって、推測にわたる部分が多分にあることは否定できないにしても、警察官が職務上得た知識を踏まえた分析・判断であるから、およそ実体とかけ離れた推測とはいえないように思われ、後述する「ISG」文書等の記載をも勘案すれば、少なくとも、中核派革命軍には「脈管」なる部門が存し、その基本的任務として、「人と人との連絡役」や「物品の受渡しの役」を担っているものと合理的に推測することができるように思われる。

そして、被告人を昭和六〇年四月二八日に逮捕した当時、被告人の身体及び居室から押収した諸証拠物中には、革命軍構成員との接触に必要な革命軍のメンバーのアジトの名義人及び所在地の一覧表、機関誌紙の受渡しに必要な五個班三一名の革命軍のメンバーの機関誌紙購読数一覧表、機関紙「前進」受領の暗号文、連絡文書の受渡しそのものであるSK班長からKR班長宛ての緊急事態を報告する「パナマの件」と題する文書、「偽造車検証(チョコレート)作成依頼文書」、受信機能のみで発信機能はないとはいえ警察無線通信を傍受できる超短波無線受信機三台、自動車の鍵三個等が存在することなどからすれば、被告人は、「脈管」の基本的任務と推測される「人と人との連絡役」や「物品の受渡しの役」という役割を具体的に担っていたことが窺われるのである。

更に、平成元年五月五日静岡県清水市内で逮捕した中核派革命軍のK1から押収した「ISG」なる者の作成にかかる「(三)スクリューの再建・強化について」「(四)スクリョーの再建強化方針」「(四)スクリューの再建・強化方針(その2)」等と題する文書、「HIK」なる者の作成にかかる「ステーキ」と題する文書を検討すると、「DINNER・SUPPERによって直接弾圧を受けたD31がスクリューメンバーであったという事実」「スクリューメンバーであるD31」なる記載があるところ、この「D31」が被告人を意味することは明らかであり、また、「DINNER・SUPPER」中の「DINNER」が「被告人逮捕」を意味することも証拠上間違いなく、したがって、被告人が逮捕当時及びこれにさかのぼる相当の期間「スクリュー」のメンバーであったものと認められる。そこで、この「スクリュー」が「脈管」を意味するのかどうかを考察するのに、右文書中に、「スクリューの基本的具体的任務がカーテンされたクロックの貫徹であることを徹底的にはっきりさせなければならない。スクリューは、スクリューのたたかいの核心が人間と人間のクロックと物品の受渡しのクロックに凝縮されるものであることを徹底的に明確にして、[計画〜準備〜貫徹〜総括]のクロックの全過程をカーテンされたクロックとして確実に貫徹し、そのいっさいに責任をとらなければならない。スクリューのクロックによって、分割と分散下のマルコ・ポーロのラワンの生命体としての活動が確保されるのである。」「スクリューの基本任務がクロックにあり、その最大の目的がラワンの組織と活動に対する汚染のイモズル的拡大を断ち切り阻止することにあることを確認するならば、スクリュー自身が最もクリーンな存在でなければならないことは明白である。」「スクリューの任務と役割はカーテンされたクロックの貫徹である。任務の手段がグラスであれ、マンドリンであれ、任務の目的がメールの受け渡しであれ、人間のクロックであれ、その他であれ、スクリューの任務の基本と本質はクロックである。」「クロックによる他人(他の組織)からの汚染の波及・伝染を断ち切り」「クロック直前のチェックこそクロックに闘争勝利のための決定的武器である。」「スクリューは任務の性質上、絶えず、汚染する危険に曝されているのである」「かって、DINNERに至る過程での、ラワン指導部とスクリュー自身の最大の誤りは、「スクリューはシェルされっこない――スクリューは汚染してもかまわない」という徹底的に間違った考え方に陥っていたことである」「スクリューとして既に何万Kmも走行しているあるメンバーは、グラス走行を自分の主要な仕事としているはずなのに、グラスとはそもそも何かといった、物体の構造に関して、何の関心も示していないし、運転技術の各課題(例えば、ウインカーの出し方、アクセルの踏み方、加速の仕方、ブレーキの踏み方、ギアの選び方、停止線での停止の仕方、車体感覚etc)にも意識的に対象化し取り組み向上させようとしていない。」等と記載されているのであって、「クロック」が「接触」を意味し、したがって、「スクリュー」の基本的な任務が「人と人との接触」「物品の受渡しの接触」と解されることからすれば、「スクリュー」の部門と「脈管」の部門が別個の組織として存在するとは考えがたく、「スクリュー」とは「脈管」を意味するものと考えられる。

以上の考察からすれば、被告人が逮捕時の七か月程前である本件犯行時においても、「脈管」の部門に属し、そうでなくとも、被告人からの押収物中に、革命軍メンバーのアジトの名義人及び所在地の一覧表等、組織連絡の最重要の機密事項に属するものも含まれていることからすれば、「脈管」の役割を担っていたであろうと推認しても差し支えないように思われる。

しかしながら、被告人が「脈管」に属しあるいはその役割を担っていたとしても、それが直ちに本件犯行計画に関与していたことの立証になるものでないことは、犯行計画が最高機密に属し、その性質上極めて限られた範囲の者にしか打ち明けられないであろうことに照らしても、多言を要しないところである。そもそも「脈管」の役割が「人と人との連絡役」や「物品の受渡しの役」であることからしても、メッセンジャー的色彩が強く、最高機密に属するような事項の企画立案に関与するような立場にはないように思われる。

そして、警察官らの証言や被告人からの押収物等の証拠によっても、関東における中核派の革命軍は一二〇名くらいであること、革命軍には、被告人が逮捕された当時、「ARI」という組織のほかに「HACHI」という組織が存在していたこと、被告人は「ARI」に属し「Nz」という暗号名で行動していたことなどは解明されたとはいうものの、本件犯行が「ARI」によって敢行されたものか、それとも「HACHI」によって敢行されたのか、それとも「ARI」「HACHI」以外の組織があり、その組織によって敢行されたのかもわからないし、「脈管」の組織編成や人数さえもわからないというのであるから、被告人が事前に本件犯行計画を知り、これに関与していたといえないことは明らかである。

なお、被告人の居室から本件犯行を大々的に報じた「前進」一二〇五号及び新聞二紙のコピーが押収されているが、この事実は、被告人が本件犯行に強い関心を抱いていたことを推測させるにとどまり、それ以上に、本件犯行を事前に知っていたとか、関与や共謀を推測させるものではなく、ほかに被告人と本件犯行を結びつける証拠も皆無である。

右のとおりで、証拠上判明している被告人の中核派における地位ないし役割、被告人から押収された証拠物等の検討によっても、被告人が事前に犯行計画を知り、これに関与したことを推測させるものでなく、被告人の犯意や共謀を認めることはできない。

以上のとおりであるから、その余の論点を判断するまでもなく、被告人に本件犯行の共同正犯ないし幇助犯の成立を認めることはできず、検察官の控訴趣意は理由がない。

五  結論

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官早川義郎 裁判官八束和廣 裁判官仙波厚)

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